メッセージ

東日本大震災から10年を迎えて

歴史に残る災害――2011年3月11日に発生した東日本大震災もそのひとつでしょう。

大切な人を亡くした人々は、会えなくなって、話したくても話せず、自分の中の時計はあの日から止まったまま、その人のいない道をひたすらに歩んでいるのだと思います。どんなに時が経とうとも、毎朝、目覚めるたびに考えるのは、会えない人のことばかりです。

記録の伝承

私は、東日本大震災が発生するまで、およそ2万人が亡くなる津波を想像することができませんでした。

しかし、過去の災害をみれば、初めてのことではないのです。奈良時代の西暦720年に成立した歴史書『日本書紀』によれば、684年に発生した白鳳(はくほう)地震(南海トラフ巨大地震)の津波により、土佐で運調船が流失、死者多数と記録されています。これが、日本最古の地震津波記録だと言われています。

なぜ、720年に生きる人たちは、歴史書に災害史を記録したのでしょうか。その後も、どの時代でも災害の記録が残されています。現代に生きる私たちも、自分たちが生きているたった数十年のなかで数々の災害が発生し、そしてその記録を録り、伝承しようとしています。

「自然災害伝承碑」篇

特務機関NERV防災啓発動画「自然災害伝承碑」篇

大津波の被害を受けた地域には、「大津浪記念碑」が設置されていることがあります。東北の三陸地域は、「津波常襲地帯」と呼ばれ、およそ40年に一度の周期で津波が来襲している場所です。三陸地域の岩手県内だけでも、大津浪記念碑は200基を超える数が設置されています。この記念碑もまた、大津波の被害を受けた地域の住民が背負った悲しみと悔しさ、そして失敗を記録に残し、次の世代に伝承しようとしているのだと思います。

私たちは、過去の災害を記録した史料や伝承から学ばなければなりません。また、学んだことを未来に活かさなければなりません。実は、日本の沿岸では津波はほとんど毎年のように発生しています。近年では津波が無かった年のほうが珍しいとすら言えます。40年に一度などではなく、いつでも津波が来るという意識でいなければなりません。

「津波の歴史」篇

特務機関NERV防災啓発動画「津波の歴史」篇

私たちが次の世代に遺すもの

現代は、石碑の情報とは違う、リアルタイムな情報が手元に届く時代になってきています。私たちの取り組みも、的確な情報に迅速にアクセスできるようにすることが目的で、そうした情報伝達システムを次の世代に残したいと思っています。

しかし、
情報に人を助ける力はあるのでしょうか。
情報で人の命は救えるのでしょうか。

東日本大震災では、揺れの直後から停電が起こりテレビが使えませんでした。津波が来襲したあとから携帯電話も使えなくなりました。新聞も届かなくなりました。
情報が、被災地に、届いていませんでした。

放送局の人も、新聞社の人も、携帯事業者も、インフラと言われながら災害時に何一つ情報を届けられない無力さに、悔しい思いをしたと思います。
そうした悔しい思いを忘れずに、次の災害に備えることで責任を果たしていくしかないのです。そうして日本の防災は進化してきました。

先人たちの努力によって情報は進化を続けている

震災の教訓をもとに、携帯電話の基地局にはバックアップ電源が備えられ、放送局はスマートフォンからも閲覧できるインターネット中継で情報を伝え、新聞社もリアルタイムな報道に力を注いでいます。そして、伝える情報の種類やスピードも、失敗のたびに進化を重ねてきました。

1983年の日本海中部地震では、津波警報の発表に14分を要し、NHKが津波警報を報じたのは気象庁の発表からさらに5分後でした。津波の第一波が到達したのは地震から8分後で、津波警報が間に合いませんでした。

それから10年後の1993年の北海道南西沖地震では、気象庁やNHKが情報発表の迅速化や緊急警報放送を導入するなど改善を行い、地震発生から5分で津波警報を出し、NHKでも緊急警報放送を実施しましたが、震源に最も近かった奥尻島には地震発生から5分もしないうちに大津波が押し寄せ、報道が迅速化したにも関わらず、津波警報は再び間に合いませんでした。

しかし、翌年の1994年の北海道東方沖地震では、北海道南西沖地震の教訓が活き、地震後ほどなくして津波警報が発表され、北海道では死者・行方不明者が全く出ていません。

1995年の阪神・淡路大震災では、午前5時46分に地震が発生し、神戸市が災害対策本部を設置したのは午前7時、国土庁(当時)が非常災害対策本部を設置したのは午前10時で、地震発生から4時間以上掛かっていました。
当時の震度階は、気象庁職員の体感や街の状況を視認して決められていました。発表まで時間がかかり、誤差が大きかったことから、阪神・淡路大震災以降に全国に地震観測網が整備され、機械式の自動計測が始まりました。現在では全国の4300箇所以上に観測点が設置されています。

「津波の歴史」篇

特務機関NERV防災啓発動画「1秒でも早く伝えるために」篇

こうした整備により、2018年の大阪府北部地震では、午前7時58分に地震が発生し、2分後の午前8時には首相官邸の危機管理センターに官邸対策室が設置され、午前8時3分には総理が指示を出すなど、危機管理が非常に迅速になっています。

このように、観測網を強化し、処理を自動化して情報伝達を素早く行うことで、国や自治体の救援活動が迅速になっています。

阪神淡路大震災後に整備が進んだこの地震観測網はその後、緊急地震速報に応用され、震源位置や地震の規模を速やかに推定し、津波警報の迅速化に繋がっています。

情報で人の命は救えない

情報は近年の技術の進化により、瞬時に人々に届くようになり、情報で対応を迅速化させることもできるようになりました。しかし情報で人の命を救うことはできません。情報の役割は、判断材料となること、ただそれだけです。判断する人が、迅速に適切に判断を下せるようにする、そのために伝わるように情報をデザインし迅速に届けることしかできません。

人の命を救うのは、情報ではなく、その場にいる人の判断です。いま逃げるか、どこへ逃げるか、あるいはその場に留まるのか、どのような指示を出すのか、その判断のために情報があり、それをお伝えするのが私たちのできる限りのことなのだと思います。
そして、いざというときに情報が届かないことのほうが多いのです。情報が届くのを待たないでください。情報が来ないことも間に合わないこともあり得ます。2014年の御嶽山の噴火では、なんの情報もないままに58名が亡くなる戦後最悪の火山災害が発生しました。

報道機関や気象庁、防災アプリの情報がいつでも正しいとは限りません。先程から、「過去の教訓に学び…」と言ってきました。そしてどのメディアも「事前にハザードマップを確認して」と言います。しかし、本当の災害を目の当たりにしたとき、過去の経験やハザードマップの想定にとらわれないでください。

東日本大震災の際、大津波警報の第1報でマグニチュードが実際よりも低く計算されたことで、「予想される津波の高さ」も低く伝えられました。迅速に発表された大津波警報で救われた命がある一方で、この情報によって、「津波はここまではこない」と考え、命を落とした人もいるでしょう。観測・予報といった技術には常に限界があり、いつでも情報が正しいとは限りません。情報だけに依存しないでください。

私たちの扱う情報が、人の命を奪ってしまう可能性のほうが怖いのです。それを肝に銘じて、細心の注意を持って、私たちは情報を伝えようとしています。

失敗は「仕組み」で改善しなければならない

私たちが防災に携わってから、日本は様々な災害を経験しています。地震だけではなく、津波も噴火も洪水も、土砂災害も、竜巻も、毎年どこかで発生しています。こうした災害のほか、特に東日本大震災で激しく被災した経験を私たちは必ず活かさなければなりません。使命感や正義ではなく、この取り組みは、社会契約上の義務なのです。安全な地域を遺していくこと、それを実現する仕組みを作り教訓を伝え続けることは、東日本大震災で大切な人を亡くした者に課せられた義務なのだと思います。特に予報業務許可事業者は、気象業務法で警報事項の伝達義務が定められており、私たちはすでに、法律に基づいて防災情報を国民に提供する義務を負っています。
この時代に生まれ、いまの私たちにできることがある以上、何もしないという選択肢はありません。

「あの日、この情報を届けられたらどんなに良かっただろう。」
この10年、何度も何度も、何度も思いました。しかし、情報を過去へ送ることはできません。

その報せを過去へは送れないのだから、これまで防災システムの仕組みを改善してきた先人たちと同じように、次の世代の人たちに、少しでも良い防災システムを「仕組み」として残していかなければなりません。エンジニアだからこそ、失敗は「仕組み」で改善しなければならないと思っています。

情報から離れてもいい

東日本大震災が発生したあの日、直接的に被災したかどうかに関わらず、「当事者」になった人たちがたくさんいます。そうした当事者は、これまで防災のために奔走してきたでしょう。あの震災の直後から何日も、私は眠らずに災害情報に触れ続けました。災害情報に触れ続けることは、心を蝕みます。今になっても過去の呪縛は解けず、アプリの開発などで津波情報の画面を設計や、音声読み上げを構築するときも、手が震えます。同じように、PTSDからくる強迫性によって防災に取り組み続けている当事者もいるのだろうと思います。

災害時、情報はときに強いストレスを与えます。映像が手軽に残せる時代になり、報道は必要以上にセンセーショナルに情報を伝えてくることもあります。凄まじい映像や、悲痛で苦難の中にいる人々を見続ける必要はありません。情報を受け取りすぎないように心がけてほしいと思います。災害情報でストレスを受けるのは報道に携わる人も同じです。新聞社や放送局の中では、紙面や番組を作る業務に当たるなかで繰り返し何度も災害の映像を編集したり編成したりする人がPTSDを抱えるケースもあります。こうした情報がもたらす影響について、誰に必要な情報なのか、暴力的な情報になっていないか、人道的で公共の福祉に資する情報となっているか、私たちは深く考えなければなりません。報道に携わる人や私たちも含めてすべての人が、現代ではスマートフォン一つで誰でもどのような情報でも沢山の人に流せてしまうからこそ、情報を慎重に取り扱わなければならないのだと思います。正義感はたやすく暴走する危険性を持っています。

「私たちの義務」は、次の10年の取り組みにある

私たちの取り組みは道半ばであり、まだまだ解決できていない問題が山積みです。しかし、これまでの10年よりも、次の10年のほうが私たちにできることはたくさんあると信じています。
私たちを支援してくださった皆様、ともに連携をしてくださった皆様、権利許諾をくださった皆様のご協力に感謝申し上げます。
ゲヒルンは、今後も防災情報配信のさらなる強化に取り組んでまいります。

代表取締役
石森 大貴

「私たちの義務」篇

特務機関NERV防災啓発動画「私たちの義務」篇